top of page

1. 事物の関係性に人びとの経験を紐づける

眺めのよい場所に1本のナツミカンがあった。根元には丸太があり、木陰が落ちるとひと休みする場所になった。偶然の重なりのようにも思えるこうした身の回りの事物の関係性にかたちを与え、人びとの経験に紐づける力が建築にはある。そこで生まれるふるまいは、繰り返されることでより確かになる。それは機能概念に基づく室の分節と配列が、目的に仕える合理的なふるまいを生産する一方で、人びとが創造的にふるまう余地を狭めてしまうのと対照的である。私たちの建築は事物の関係性の中からふるまいを掬い上げ、人びとの経験を織り込み、暮らしと共に生き続ける。

2. 時を超えた感性に現代の物語を重ねる

里山の環境は、無数無名の先人たちの土地への応答の繰り返しにより築き上げられた。私たちが意識するのは、教科書で対象化されるような「過去」ではなく、先人たちも私たちの一部であり共に生きているような「時を超えた感性」である。棚田での稲作の行程のような、試行錯誤を通して蓄積された知性はいかなる権力もこれを変えることはできず、仕事を通して里山の一部になる感性は時を超えて共有される。変わりゆく時代の中でも、それらを基にすれば、不確かな未来の可能性を広げることができる。共同体から個人が解放される自由は、近代以降の建築デザインを個性豊かに卓越させた反面、建築の偉大さである個を越えた共同性の卓越を後回しにしてきた。私たちの建築は事物に埋め込まれた知性を次世代に引き継ぎ、時を超えた感性に現代の物語を重ねる。

3. 適材性と適所性の連鎖を整える

里山に適切な管理の手を加えた結果得られるもののいくつかは、少しの設計配慮を施すことで建築資材になり、その一連の行為は里山をより美しくする。また建設に用いられた素材は、建築としての完成地点においてのみ存在するのではなく、姿を変えて里山に存在し続ける。例えば茅葺き屋根の茅が役割を終えると畑に漉き込まれるように、事物から見れば建築としてあることは仮初の姿だ。後世に確立された産業的なカテゴリーなど平気で横断していく。適材性と適所性を連鎖させることも、先人の試行錯誤により蓄積された知性である。一方、市場が用意する資材という商品を前提にした建設は、商品から商品が作られる資本主義の生産様式によってその価値があらかじめ決められており、知らぬ間に建築デザインを制約し、その可能性を狭めてはいないだろうか。私たちの建築は、身の回りの環境への深い観察を通して、資本主義の商品リストにとらわれない資源に積極的にアプローチする。

4. ものに潜む装飾性を引き出す

近隣で解体されそうになった家屋からサルベージされた古建具を、パッチワークして開口部を作った。さまざまなガラス模様や枠や大きさが集まった豊かな表情は、来歴など含めた古建具の個性一つ一つを繋いだ結果である。また草屋根のけらばの上端は、枝そだを絡めたしがらみを固定する下地の配置に合わせて、浅いつづら折れになっている。装飾と呼べるこうしたものに潜在的な特徴は、全体を統合するルールにものを従属させないことにより引き出されている。モダニズムにおいては、全体のあり方に部分が奉仕する統合感が前景化したことや、大量生産が部品の規格化を進めたことにより、ものの装飾性への理解が狭められた。私たちの建築は、ものに秘められた装飾性を汲み取ることから、全体に従属しない部分の可能性を再考する。

6. 動的な関係性を構造化して表記する

一見掴みきれない複雑な状況や言葉で捉えられないような世界観を見える化するのがドローイングである。それは写真と異なり、対象を取捨選択し、そこに階層性を与えるなど再構成を行う。対象を2次元に置き換えることで、建築もそれ以外にも同様の形式を与えられる。目の前にないものとの時を超えた繋がりを描くこともできる。何を見て何を掬い取ろうとしたのか、対象との出会いによってもたらされた新たな平衡を示す。幾何学と寸法の体系により建築の完成形を静的に表現する平立断面図は、建てられた建築を図面のコ ピーであるとする認識をもたらし、設計者と施工者、利用者をはっきり区別する。しかし建築の現場は常に不安定で動いており、さらに建てると住むは連続している。私たちの建築は、こうした事物の動的な関係性や不確かなものを定着させる表記法をその都度開発しながら、ドローイングを産出する。

5. 共に建てることをデザインする

里山の暮らしの中で、建設と環境整備を相互に関係づけた「滴滴庵」の建設には多くの人やものが関わっている。外注は行わず、設計、材料調達、施工など建てること全体を自ら組み立てた。「滴滴庵」に込められた思いは関わる人びとに共有され、知性やスキルは共に作業を行う中で引き継がれた。スキルが共有されると維持管理が暮らしに取り込まれ、 自らの手で自らの生きる場を整える達成感や愛着が増す。建てることが住むこと、という営みはすべての人に開かれているからこそ、建築することの中に人々はコモンズを形成、 持続させることができた。完成物が全てではないその価値は、現場が分業化され、専門家に囲い込まれ、人びとがアクセスしにくくなると捉えられなくなる。私たちの建築は、人やものが集約し関係性を築き上げる過程そのものをデザインし、共に建てることの可能性を追求する。

bottom of page